「3.11郡山行動」報告(1)

福島で、友情つながりの心温かな市民デモと集会
3・11郡山レポート

(青山晴江 たんぽぽ舎ボランティア)



 満席のバスが郡山駅前に着いたのは昼前だった。ビッグアイの展望台から山々と市内が一望でき、昨年1万6千人が熱い思いで集まった開成山公園も見えた。

「3・11」は誰にとっても特別な日。人間の尊厳をふたたび問う日だ。

ある会議で「それではフクシマを見捨てるというのですか?」という悲痛な声を聞いたとき、本気でバスツアーを組んで3・11は郡山を歩こうと思った。少人数でもひとりずつの想いが伝わる、手作りのデモと集会を、と。チラシも手書き。見出しは「二年目の3・11 スリー・ノン(3NON)の女たち WALK in 郡山」。三つの「NON」は各自の自由な意思表示。例えば、風船やプラカードにNO原発、NO WAR、NONバイオレンス、NONセクショナリズムなど。近藤さんや現地の女たち、たんぽぽ舎の協力で準備や情報の拡散が進んだ。

 初めてのデモ申請をしにひとりで郡山警察署に行った。部屋は[相談室]という札が出ている取調室のような雰囲気の所だったが、応対は丁寧で、東京からでは大変でしょうと1回の訪問で済むようにしてくれた。警察で働く人の中にも原発や放射能に対してまともな認識を持ち、家族を避難させてばらばらに暮らし、未来を憂う人もいるのだと知った。

 その反面、市役所の一室でおこなった記者会見で、福島テレビの若い記者は「個人の意見ですが」と前置きし、チラシに書いてある「郡山市はまだ高線量の所もあり..の言葉は要らない」と言った。もう線量は低くなっているし、自分も子どもを連れて歩いていると。

 しかしその日に私が見たさくら通りのモニタリングポストは0.346マイクロSv/hだった。実際にはもっと高いと言われているし、事故前は0.03マイクロSv/h程度だったのだ。子どもたちの被曝はどれほどか。

 当日のデモはそれぞれに気合十分な市民たち150人程が駅前から市の目抜き通りのさくら通りを行進。女性が多いがサポート精神の男たちも参加。「こどもたちを避難させて」「福島を忘れない」「ふるさとは原発を許さない」等の横断幕。3NONをマジックで書いた色とりどりの風船。ニューヨーク帰りのMASAさんがサックスを吹き、李政美(イヂョンミ)さんが歌う会津磐梯山でかんしょ踊りをしながらゆっくり進む。後ろにはチャングやドラム。町ゆく人が頭を下げてくれたり、バスの中から小さく手を振る人。車からじっと見ている人たち。

 郡山の黒田さんがハンドマイクで声をあげる。「みなさん! 郡山の皆さん!皆さんが何もしなかったら子どもたちはどうなるのですか?」・・・このふり絞るような言葉が心から離れない。白い防護服の森園さんが「ゆっくり進みましょう、郡山でのデモはめったにないから、時間いっぱいやりましょう」と言った。ゆっくりと歌いながら進む私たちをビルの上から見つめている人びと。互いの思いがつながりますように、どうか声を上げてください、と思わずにはいられない。

 交流会では、「グリーナムの女たち」の上映、MASAさんと李政美さんの心に響くコンサート、郡山市議・駒崎さんの福島報告、リレートークでは福島のかたとバスツアーの参加者などが発言。『阿武隈共和国独立宣言』の著者・村雲司さんは小説の中と同じように、2年目の3・11にバスに乗り込み、「独立宣言」を読み上げた。最後のキャンドルナイトでは、アメリカや霞が関のテントひろばとスカイプ中継で繋がった。


 小さくても少人数でもと始めたことだが、友情つながりの市民ひとりひとりの自由な参加で、豊かな心温かいデモ・集会となった。参加してくれた全ての方に、また参加できなくても協力いただき心寄せてくれた全ての方に、感謝の気持ちでいっぱいです。

「3・11はフクシマの現地に立ちたい」この特別な思いを
いつも心に持ち続けて、これからも福島の痛みを共有し、
共に行動をしていきたい。

 



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