「3.11郡山行動」報告(2)

2年目の3.11 スリー・ノンの女たち-
「WALK in 郡山」のキャンドルは
静かに大きく燃え拡がった

(沼倉潤 たんぽぽ舎事務局)



  福島第一原発の事故から2年が過ぎ去ろうとする東京のある街角。「3.11はフクシマの現地に立ちたい。自分たちの手作りの何かをしたい。」との思いで立ち上がった女たちは、各自の意思表示を3つのNONで表す旗をしたため「3.11WALK in 郡山」を呼びかけた。

 3つのNONはNoニュークス, Nonバイオレンス, Nonセクショナリズム, No WARなど各自がそれぞれ掲げるノンである。

 初めてのデモの申請も東京から出向き届け出た。近藤和子さんのご尽力で「上映会」の企画も準備された。しかし、何人の方が郡山の手作りデモに参加してくれるのであろうか。福島の人達は東京から押しかける私たちのデモをどう受けとめるのであろうか。不安は尽きない。

 そうした中で武藤類子さんを始め、福島の女性たちが様々な協力を申し出られ、ついにバスはまだ肌寒い早朝の新宿を郡山に向け出発した。バスに乗り合わせたサポート精神の男たちは10名を少し超えるくらい。遠方から来た方やテントひろばの方もいるが、多くは女性たちである。総勢48名。車中、自己紹介をしながらそれぞれの思いを語り、休憩地の那須サービスエリアに着いたのは11時頃であろうか。

 福島の天候は非常に気温が低く、零度を下回る予報も出されており、風も強く寒さが厳しいとアナウンスされていた。2年前のこの日、被災地は大津波の恐怖と、それが過ぎ去ったあとの寒さで凍りつく被災者の姿がニュース画面に映し出されていた。東京で暮らす者にとって、この2年間の被災者の気持ちをどこまで受けとめて来たのか。改めて自問するも答は出ない。そうこうするうちにたんぽぽ舎のTさんが奈須サービスエリアの木製のベンチ上で放射能測定を試みた。測定器の数値は0.35マイクロSv/時。案内板近くの数値でも0.25を計測。

 バスは12時近く郡山駅前に到着。デモは13時出発なので少し余裕がありそうだ。駅ビルのビックアイ展望階より郡山市外が眺望される。安達太良連邦の山並みが見えるが、新幹線の線路に沿って町並みが続く。放射能が振り注いだ経路でもある風景だが、現在でも間違いなくセシウムが残存し、その値は高い。

 デモの出発に先立って、人並みが増えてきた。どうやらバス以外の交通で駆けつけた人達が集まりだした。駅前ビル付近はデモの準備で所狭しとなり、月曜日の昼だと言うのに地元の方もいらっしゃるようだ。なによりも武藤さんが杖をつきながら駆けつけてくれ、一同の志気が高まる。

 郡山署のおまわりさんと和やかに打ち合わせを済ませ、デモは予定通り13時に出発。サクラ通りを150名の賑やかな隊列で行進を開始した。郡山市街のメインストリートであるにも関わらず行き来する人は少ないが、色鮮やかな横断幕と太鼓や楽器の音に引かれ、手を振る人々の姿にデモ隊も力が入っていく。何時しか出発前の不安は消え去り、3.11に「原発いらない」と、福島の地で叫ぶことの意義がデモ参加者の間に共有されていく。東京のデモの規模に比べればほんの一握りのデモではあるが、メッセージは確実に届いているし、郡山市民の思いも同じであることが伝わってくる。「3.11」を忘れさそうとする様々な方策が動き出している今、行動できる者が、言うべき時に言わなければ困難は決して切り開かれないのではなかろうか。交流会での「グリーナムの女たち」の上映においてこのことがより一層明白になったような思いを抱いた。


 一時間ほどのデモで心配された寒さもそれ程ではなく、解散地点めざし行進が続けられたが、天候以上に驚かされたのは沿道の幾つかの地点で計測された放射能測定値です。近くには学校もあるところの地面(街路樹の根元付近)での数値は1.24マイクロSv。解散地点の駐車場の土手の草むらでは1.67マイクロSvを計測。
 解散地点は広い駐車場でした。デモの集約報告が青山さんより行われ、近藤さんが責任者の一人ではありますが皆さんの御かげで何も重い責任を負うことなく楽しく出来ましたと報告。大きな拍手の中、交流会会場の郡山教組会館に向かいました。

 14時を過ぎていた時間から交流会が始められ、上映会とミニコンサートの素晴らしい企画を交え、駒崎ゆき子郡山市議からの「福島の現状について報告」が行われました。駒崎市議は福島疎開裁判に触れ、14名の子供たちが1ミリSv以下のところで学校運営してほしいという仮処分申請が提出され高裁で争われている。原発事故への関心が薄れ、報道も津波関連が多いが放射能が取り上げられることがなくなっている。事故直後、冷却装置が動いていると判断していた原発運営者の有様や、配水管も分からず放水していた事、「事故調」での報告が疎かな事など、全て「安全神話」があったからだ。


  チェルノブイリ以降訴えてきたが取り上げられなかったので、悔しい思いをしている。現在、市議会で様々な質問をしているが、野田政権が「冷温停止」を宣言した後にも放出されている放射能の値は建屋出口付近で1000万Svを計測している。放射線管理区域の限度数値は0.6マイクロSv/時だが、郡山の空間線量は0.52を計測している。政権交代を契機に復興、復旧が言われているが、それは公共事業の復興に過ぎない。私たちは安心してもとの生活に戻すことを求めている。

 また、東電に至っては「現状でも震度6強の地震には耐えられる」と言っているが、それは事故が起きる前の返答と同じであり、事故が現実に起きても何ら変わらない東電の対応は許せない。郡山市長も「日本一元気な子どもを作る」といって屋内施設建設をうたっているが、6000人の自主避難者がいる。そして大きな問題なのが、子どもたちの健康被害だ。県が実施した調査結果において40%の方に小さな「のう胞」が見つかった。また、癌が見つかり手術したものが3名、7名が疑わしいとの診断。10名という数字は3万8000名中、10名なので、学会の基準100万人に1人という値と比較するときわめて高い。環境省は他の県と比較して高い値ではないとごまかそうとしているが、他の3県は長崎、青森、山梨であり比較対象として相応しいか疑問だ。こうした状況に福島の子供たちがおかれている現実を知ってほしい。疎開裁判の支援をお願いすると同時に、「子供を守れ」のアクセスを起してほしいとの訴えがなされました。

 交流会の最後は、被災された方々の冥福を祈り、一刻も早く原発のない社会、町を築き挙げるための「キャンドルナイト」の催しでした。蝋燭に灯された火は、参加者一同の決意を新たにした友情と連帯の輪となり、感動的な場面が生まれました。最後に登場した原発20キロ圏から駆けつけた一人の女性は「家族は原発で作業している。原発で生計を立てていたが事故で家も町も大きく変わった。原発の現実が分かったので安心して暮らせる町に変えたい。そのためには行政や議会に対して発言していく行動を皆さんの力を駆りながらやり遂げてみたい」との勇気ある言葉で語り、会場から大きな拍手が沸き起こりました。一人一人が自分のスタイルで声を挙げれば必ずや仲間が呼応し、新たな地平が切り開かれていくという運動がまた一つ誕生した瞬間でした。

 スリーノンの女たちのきらめく旗は次回、どの地にはためくのでしょうか。男たちもそれぞれの持ち場での奮闘を期待し、次なる出会いを築き上げましょう。

 






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