2012年 6月 9日 たんぽぽ舎&東電前AC合同学習会[3]

たんぽぽ舎&東電前アクション合同学習会 -3回目
【東京電力の歴史(戦前・戦後)-強制連行、重労働ほか】

講師:村山和弘さん
  (富山県在住、第2次不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する北陸連絡会事務局、
  孫たちに原発の無い未来を渡したい高齢者の会)

日時 2012年 6月 9日(土)19:00 ~ 21:00(開場 18:30)
場所 スペースたんぽぽ
参加費 800円


収録アーカイブ(U PLAN)
http://www.ustream.tv/recorded/23191371 (107分)


<講座タイトル>
東電はなぜ権力と一体の存在か? 東電暗黒の歴史ー強制連行ー核開発

東電が、財界・国家の中枢企業になったのはなぜか?を考えます。

  • 1910年「韓国併合」で土地を失い日本に渡った朝鮮人は炭鉱・ダムのタコ部屋労働を担います。それを基礎に、都市の電灯電気産業が成立します。朝鮮・「満州」を軍事的な経済圏とする大東亜共栄圏には、戦争と電力が一体的に位置づけられました。

  • 東電は、日本発送電として朝鮮・「満州」を軍事基地とする要になりました。戦争の中で日本への強制連行・強制労働の最大企業は東電なのです。他方で、朝鮮でのダム・炭鉱には「植民地の現地」から膨大な強制的連行がされました。「満州」から1千万人以上の強制連行とも一体でした。

  • 戦後の原発国策が何故成立したのか?
    朝鮮・興南軍事都市での日本の原爆開発を知る必要があります。核開発に関与した核物理学者は「沈黙を条件に戦犯免除」され一切沈黙したままです。 戦後は、戦時の延長上に、戦犯の岸、正力らが若 い中曽根と共に科学技術立国を掲げました。国策原発の方針です。戦後民主化の陰で戦犯企業(電力・財閥)、官僚機構は温存されました。

    東電は戦犯企業でありながら、全く弾劾・解体もされませんでした。
    東電の戦前史と戦後史を、暗部を照らした視点から捉えます。



2011/12/9発行【TMM:No1278】より

富山から全国に連帯を込めて
東京での「素人の乱」「東電アクション」の新運動に感激

(富山・村山和弘)

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◆12月11日の経済産業省・各電力会社への行動に、富山集会が重なり残念ですが参加出来ません。富山の闘いの状況をお知らせし連帯アピールに代えます。
 「富山4.11デモ」を皮切りに、10団体「5.11北電志賀原発を廃炉に」申し入れました。「5.25北電回答受け取り行動」は、紋切り型の居直りです。翌日5.26から「北電前ランチタイムアピール(平日)」を開始しました。「6.11サウンドデモ」(120名)を実現します。「6.28北電株主総会」北電前アピール行動を行います。その次に、持久戦で毎日から「毎水曜ランチタイムアピール」になります。

◆その後、東京での「素人の乱」「東電アクション」の新運動に感激しました。同世代が経済産業省前にテント建設には同じ気持ちでした。若者4人のハンストに大感激し9月14日に東京に出かけました。翌日テントと若者を訪問し台風の20日まで毎日訪問しました。

 その触発で、富山で毎水曜ランチタイム・アピール(10人~20人)にも「座り込み」をプラスします。1人でも毎水曜日には「北陸電力本社前道路で座り込みをする」と言いました。70歳以上「JJBBの会」の座り込みが、東京テントと連帯し開始しました。1人でもやろうとの気持ちが、やると2人以上になり5人になります。7日(水)は雨中パラソルで寒さの中を定例2人と飛び入り若者1人の3人でした。

◆歩道上なのでテントは無理です。晴れた日は、楽器演奏もあり座り込みも5-6人になります。原発は存在するだけで危険です。即時、廃炉を求めて闘います。10日は能登半島集会にバス参加。11日(日)富山集会で「北陸電力に即時廃炉」を宣言します。「富山本社」は直接。「北陸電力(株)東京支社 東京都港区虎ノ門2丁目8-1 虎の門電気ビルディング 6F」郵送します。

(「原子力政策の見直しを求める富山県行動委員会」「JJBBの会」「志賀とフクシマを結ぶつどい」集会)

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